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昭和40年上杉まつりに米沢民踊流しが登場。
米織青年連合会が製作した新民謡「米沢新調」(矢野亮作詞・吉田矢健治作曲、三喜八千代振付、昭和38年制作)を、広く市民に普及させようという狙いからはじまったもので、4月29日の開幕を飾るイベントとして注目される。
この普及には、振り付け者の三喜八千代の指導を受けた市内の日本舞踊家 藤間勘都美があたり、以後市民の間にこの踊りが伝授されていった。 -
昭和43年米織青年連合会を中心に、婦人会、市内邦舞社中(藤間・若柳・花柳)、民踊愛好グループ(米沢民踊愛好会)など500人の参加がまとまり、参加者は年々増加。やがて市内の高校の参加が実現。
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昭和46年「米沢新調パレード」から「米沢民踊流し」に改名。さらに「新花笠音頭」の踊りも加わり、米沢新調と新花笠音頭が交互に踊られるように。また当初はレコードで踊っていたが、その後米沢民謡会による生演奏となり現在に至る。
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平成8年参加者が18団体、総勢1546人に達する。
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平成13年7月上杉鷹山公生誕プレイベントを開催。
これに伴い、夏まつりで13年継続してきた花笠まつりを生誕祭の日に実施。コースはまちの広場から松川河川敷までとなり、沖縄と上郷のエイサーshinchou21もパレードに参加。
河川敷では米沢商工会議所青年部によるビアパーティーも開催された。※秋に実施されていた上杉鷹山公まつりも生誕祭に移行したため。 -
平成13年9月上杉鷹山公生誕250年祭を開催。
伝国の杜がオープン。 -
平成14年上杉鷹山公生誕祭として7月第3日曜日の継続開催が決定。
花笠まつりと民踊流しが統合される。
米沢商工会議所青年部のビアパーティーが伝国の杜会場へ移動したため、パレードコースがまちの広場〜伝国の杜のコースとなる。上郷エイサー、shinchou21は伝国の杜ステージでの踊り披露となる。 -
平成17年上杉鷹山公生誕祭の廃止が決定。踊り検討会議が開かれ、パレードを再び4月29日に開催することになる。
先頭にエイサーshinchou21、上杉鷹山なせばなる(立正佼成会)が各音源(カート、車、山車)で踊り、通り過ぎた後に民踊パレードを行った。踊りは米沢新調、花笠音頭の交互パレードに。 -
平成18年前年度の3団体の独立音源の成功を受け、全ての音源を独立させることに。
新しい踊りの団体が増え、様々な踊りでお客様の目を楽しませる。参加団体は30団体1000名に。 -
平成19年昨年度までの反省点を踏まえ、1年間にわたり検討委員会を開く。
踊りや伝統芸能を奉納する開幕祭として、開幕セレモニー、奉納太鼓、奉納舞踊を行い、その後、第1部としてステージイベントを開催。
第2部の開幕パレードは、上杉神社までの参道を踊るという位置づけで、大門交番前から、直線コースで伝国の杜まで踊るコースに変更。
その後、第3部の米沢時代行列がパレードと同じコースで行列し、伝国の杜ステージで人物紹介、パフォーマンスの3部構成で、新たに開幕祭という名称で行う。
まつりのコンセプトに基づき、上杉神社への奉納と市民参加を軸に構築され、おまつりの開幕にふさわしい盛大な催し物に。特にステージ部門では、これまでに参加のなかった新たな団体の出演など、おまつりへの新たな参加機会が生まれる。午後からの民踊流しコース沿いに伝国の杜の観客を誘導できたことにより、近年にない賑やかなパレードとなる。
上杉まつりの由来
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